80歳生きたとして、週換算で約4000週間。
この限られた時間で何ができるか知りたい人向け。
目次
余暇を無駄にしない唯一の方法
余暇を「無駄に」過ごすことこそ、余暇を無駄にしないための唯一の方法。
何の役にも立たないことに時間を使い、その体験を純粋に楽しむこと。
将来に備えて自分を高めるのではなく、ただ何もしないで休むこと。
一度きりの人生を存分に生きるためには、将来に向けた学びや鍛錬をいったん
忘れる時間が必要。
何のためでもないことをする
僕たちは何らかの目標に向かっているわけではない。
その価値は目標達成ではなく、ただその活動をすることにある。
散歩は達成すべき目標ではないし、
やるべき散歩をすべて完了するということもありえない。
「やめることはできるし、どこかでやめるわけだが、
ゴールに着いたからやめるというわけではない。
何かを達成しておしまい、という話ではない」
何かを達成するためではなく、ただ歩くために歩く。
それは目標に向かう活動が多すぎる日々の中で、
大きな救いになるかもしれない。
時間が全て何かのための手段になってしまい、
今このときの価値が失われている。
何らかの達成を目標とするのではなく、
ただその活動そのものを楽しむこと。
僕たちはそんな活動をもっと日々の生活に取り入れた方がいい。
忙しさ依存の悪循環
ものごとには必要な時間がかかるものだし、
どんなに急いでも不安が減るわけではない。
世界のスピードを想い通りに動かすことなど不可能。
急げば急ぐほど、
もっと急がなければという不安が増すだけ。
「ものごとの進むスピードを自分はコントロールできない」という真実に直面し、
不安を押さえつけようとする努力をやめたとき、
不安は何か別のものになる。
忙しさに依存している現代人は、
手取り早い解決策は存在しないという現実を、認めることが必要。
そうすれば困難で時間のかかる仕事に取り掛かることは、
もはやストレスの引き金ではなく、
清々しい選択になる。
難解な長編小説を読むことは、
苦行ではなく、楽しい時間に変わる。
「耐えること、じっと持ちこたえて、
次の一歩を踏み出すこと。そうしたことに価値を見出そう。」
ほどほどに意味のある人生
4000週間という素晴らしい贈り物を堪能することは、
偉業を成し遂げることを意味しない。
並外れたことをやろうという
抽象的で過剰な期待は、
キッパリと捨てよう。
そんなものにとらわれず、自分に与えられた時間を
そのまま味わったほうがいい。
宇宙を動かすという神の幻想から地面に降り立ち、
具体的で有限な、
ーそして案外素晴らしいこともあるー
人生をありのままに体験しょう。
終わらない準備期間
時間は不確実なのだから、
そこに安心や確実さを求めようと足掻くなら、人生は全て
本番前の準備段階になってしまう。
あたかも自分の生まれてきた意味は
常に地平線のすぐ向こう側にあり、
そこにたどり着いてからが
本当の人生であるかのような感覚。
「支度が整う」までは人生が始まらないかのような感覚。
人生を生き始めるための5つの質問
①生活や仕事のなかで、
ちょっとした不快に耐えるのが嫌で、
楽な方に逃げている部分はないか?
→例えば、今の仕事を辞めるかどうかで悩んでいる場合、
「どうするのが幸せだろうか」と考えると、
楽な道に流される。
その仕事を続けることが
人間的成長につながるか(大きくなれるか)、
それとも続けるほどに
魂がしなびていくか(小さくなるか)と考えれば
答えは自然と明らかになる。
できるなら快適な衰退よりも不快な成長を目指した方がいい。
②達成不可能なほど高い水準で
自分の生産性やパフォーマンスを判断していないか?
→いつの日か自由自在にできるはず、
という幻想を持っている人は、
時間の使い方について達成不可能な目標を自分に
課してしまいがち。
現実には、無限にやってくる要求に全て対応できるほど
効率的なやり方など存在しない。
あなたの基準は永遠に達成できず、
十分な時間は永遠に手に入らないことが
確かだとしたら、あなたは今日、自分の時間をどう使うだろうか。
無理な基準など地面に投げ捨て、瓦礫の中から重要なタスクだけを
拾い上げ今すぐに始めよう。
③ありのままの自分ではなく、「あるべき自分」に縛られているのは、
どんな部分だろうか。
→有限性に直面するのを避ける方法として、
もうひとつありがちなのが、
現在の生活を「いつかそうなるべき自分」への
途中経過と捉える態度。
今が人生本番であるという気まずい真実から目を逸らし、
親や世の中の期待に応えられる自分になるまでは、
準備段階のつもりでいる。
いつか正しい自分になれたら、そのときこそ人生はもっと安心で
確実なものになるだろう。
安心するために誰かに認めてもらおうという試みは、
はじめから無駄で、不要なもの。
人生は常に不確かで想い通りにならないから。
そして誰かに認めてもらうまで生きはじめるのを
待つ必要なんかどこにもない。
心の安らぎと解放は、承認を得ることからではなく、
「たとえ承認を得ても安心など手に入らない」という
現実に屈することから得られる。
誰に認めてもらわなくても、自分はここにいていい。
そう思えたときに、人は本当の意味で、善く生きられる。
「こうあるべき」というプレッシャーから自由になれば、今ここにいる自分と
向き合うことができる。
自分の強みや弱み、才能や情熱を認め、
その導きのままに進んでいくことができる。
自分が楽しいと思えることが、最善の時間の使い方かもしれない。
④まだ自信がないからと、尻込みしている分野は何か?
→人生をただのリハーサルと過ごしてしまうのはたやすい。
今はまだスキルを学び、経験を積む段階。いつかもっと上達したら、
そのときは、主導権を握ろう。そう思っているうちに、大事な時間は
どんどん残り少なくなっていく。
大人になるということは「誰もがすべてを手探りでやっている」という事実を
徐々に理解するプロセスである。
どうせいつまでたっても手探りで、確信のないままやるしかないのだから
尻込みしていても仕方ない。
待つのはもう終わり。今すぐに、やりたいことをやりはじめよう。
知識や技術が足りなくても構わない。
どうせ誰だってあなたと同じようなものだから。
⑤もしも行動の結果を気にしなくてよかったら、
どんなふうに日々を過ごしたいか?
→子育てや地域づくりなど、
多くのプロジェクトは自分の生きているうちには
完結しない。
それらはもっと大きな時間的文脈に属していて、結果がわかるのは
自分が死んだずっとあと(あるいは、永遠に最終的な結果などないかもしれない)。
もし「結果を知りようがない」という事実を受け入れたなら、
今日できる重要なことはいったい何だろう。
遠い未来の誰かのために、世界を少しでも心地よい場所にするために、
何ができるだろう?
僕たちはみんな、中世の石工のようなもの。
完成を見ることができないとわかっている大聖堂のために、
いくつかの石をそっと追加する。
たとえ完成形が見られなくても、
大聖堂を立てる価値があることに変わりはない。
「それしかできないこと」をする
「正しい生き方とは何か」
→たとえ正解が分からなくても、とにかく次にすべきことをやるしかない。
自分が限りある人間であるという状況に潔く身を任せるなら、
これまでになく大きな達成感を手に入れることができる。
時間をうまく使ったといえる唯一の基準は、
自分に与えられた時間を
しっかりと生き、限られた時間と能力のなかで、
やれることをやったかどうか。
大事なのは、自分だけの次の一歩を踏み出すこと。
感想
人は80歳生きたとして、週に換算すると
約4000週間。
この限られた時間を
将来に向けた準備のために今を犠牲にするなと
という話。
余暇を無駄にしないための唯一の方法が
余暇を「無駄に」過ごすこと、みたいに哲学的な表現をされたので
途中読むのを諦めようとしたが、
何の役にも立たないことに時間を使い、その体験を純粋に楽しむこと。
と結んでいたので納得。
忙しさをコントロールするのは不可能、
人生は何者かになるための時間ではない、
何かを達成するため準備期間に終わりは永遠にこない、
など、客観的に言われて初めて気付き
ハッとなる瞬間もあり、自分の人生を見つめ直すきっかけとなる本。
何もしないをするって、クマのプーさんも言ってた気がするが
ここに繋がってくるとは思わなかった。
目標設定を当前とする
凝り固まってしまった思考をぶっ壊してくれます。