ども、ゴロゴロ生活ぱんいちです(+_+)☆
為末 大 『諦める力』 読みました。
頑張っても勝てる見込みのないフィールドで時間を費やすより、頑張れば勝てるフィールドを選択した方がいい、
といった内容を『諦めることは明らめること』と、『諦める』という単語を至極プラスに表現してます。
この本を読んで、とあるアニメキャラクター3人を思い浮かべました。
以下、この本を読んで印象的だった言葉をまとめます。
・手段を諦めることと目的を諦めることの違い
・最高の戦略は努力が娯楽化すること。
・あなたに向いていないと言ってくれる人
・『どうせ私はだめだから』と、勝負をする前から努力することまで放棄するのは、単なる『逃げ』である
・どっちがいいかという選択を毎日意識してみる
著者の為末氏は、高校生の時、肉離れしやすい同氏の肉体を案じた顧問の先生に
高校最後の試合をケガで終わらせたくないと100mのエントリーを削除されたらしい。
当時の同氏は、100mという花形の競技で勝ちたいと固執していたので、
顧問と激しく言いあったという。
のちに自分の100mで勝利する可能性の限界を感じた時、高校時代の顧問が自分の限界を見極め、
別の手段を提案してくれたのだと自覚したようである。
そして勝利という目標を前提に据え、競技人口の多い100mではなく、
勝てる可能性のある400mハードルを選択したという。
あのまま100mに固執し、勝てないフィールドで努力しても目標は達成できていなかった、と
最終的な目標を達成するための手段を見極めることが大切だと説いている。
向いていないと言ってくれる人は自分の道を修正する上で必要だと、
その指摘を受ける時期が早ければ早いほどいいと言っているが、
同氏がこれに該当する人物は紛れもなく高校の顧問であろう。
『黒子のバスケ』という作品に、紫原敦というキャラクターが存在する。
彼であるが、バスケの才能を持ち、大成する見込みのない人間が努力することの無意味さを
しきりに語っている人物である。語録として
やっぱり理解できないな
勝てないのに努力する人間の気持ちはその程度の才能でがんばれば
何とかなるとでも思ってんの?
止めた方がいいんじゃないいけないよ。無意味じゃん。
がんばれば誰でも夢がかなうとでも
思ってんの?
努力が実るとは限らない
そんなもん常識でしょ
あぁ。この発言はある意味為末氏のケースに当てはまるなと感じてしまった。
言い方に刺があるから言われる方はカチンとくるが、自分の道を修正するきっかけを与えてくれるんだなと
思うと捉え方も変わってくる。広い視野が持てた。
そして400mという種目で世界3位という結果を出した為末氏。
手段を変えて大成したケースで、思い浮かべたキャラクターが『弱虫ペダル』、荒北靖友。
彼は中学時代野球で名を馳せていたが、ケガでその道をあきらめざるを得なくなりグレる。
全てにおいてやる気をなくし、日々を惰性で過ごす。そんな彼が出会ったとある人物によって
自転車競技という分野で花を咲かせるわけである。
・『どうせ私はだめだから』と、勝負をする前から努力することまで放棄するのは、単なる『逃げ』である
これは私もだめだからという感情は抱くので『逃げ』であると気付かされた。
全ての原因をケガのせいにして、何もしない荒北くんも福富という人物をきっかけに
自転車という手段を選択し高みに達したわけである。
読んだ本でアニメのキャラクターが結構リンクするので
アニメもいろいろ教訓めいているのだなと感じてしまった。
そしてその究極が、この文章。
・最高の戦略は努力が娯楽化すること。
楽しければ努力が努力でなくなる。楽しいからできる。それが成長にもつながる。
目標のために手段を選択しなければならない時、どちらが楽しいかということが
一つの指針になるわけである。
『宇宙兄弟』の金子・シャロンはいいました。
迷った時はね
「どっちが正しいか」なんて考えちゃダメよ
日が暮れちゃうわ
頭で考えなきゃいいのよ
答えはもっと下
あなたのことならあなたの胸が知ってるもんよ
「どっちが楽しいか」で決めなさい
この言葉は、すでに名言としていろいろメディアでも取り上げられてます。
私がリアルタイムで宇宙兄弟を観ていた時期、そりゃもう感銘を受けました。
記憶に刻み込まれたゆえに、此度『諦める力』を読んだ時でもリンクしてしまったわけです。
冒頭にも述べたこの本のキーワード『諦めることは明らめること』
すなわち目標に対して、それを達成する手段を明確にすること。
この本を通じて、自分に括弧たる目標がないことが分かった。
日々を惰性に過ごし、有限である人生を無駄に過ごしていることにあせりを感じる。
この現状を打開するために明日から気持ちを切り替えて生きていこう。